2014年7月23日水曜日

Web世間

SNSでフォローし合っている方々の投稿その他はいつも楽しく拝見して、新しいことを知ったり考えさせられたりしている。
方向性が違う方も多いけれど、そういうこと以前に根っこが信じられるというかそんな感覚がある。
それは違うんじゃないの、と思っても正直にそう言えばきっと真摯にお返事を下さるのではないかと言うようなそういう信頼感。
 
Facebookでいえばシェアや“いいね”、Twitterならリツイートでフォロアーさんの周辺のあれこれを見せていただくことも多い。これがちょっと曲者で、大部分は「へーっ」「ほーっ」と情報の広がりを楽しめるのだけれど、何言っちゃってんの?っていう人もちらほらいて、間接的に見せられたそういう呆れた投稿に関しては流石にフォロアーを飛び越えてまでもの申す訳にはいかないから不満が溜まる。突然現れたその人への上に書いたような信頼感だって無いわけだし、下手なことを言って絡まれるのも嫌だ。
 
そう言う時にはFacebookなら静かに「非表示」をクリックする。良くできていて、フォロアーさんの投稿は今まで通りで、何かの義理か知らないけれどもフォロアーさんが連れてくるその訳の分からない人だけ非表示にしてくれる。
 
訳の分からない人にも二通りある。一方は見るからに薄っぺらい輩、もう一方は真剣であったり、何かを主張する別の理由が透けて見えたりするような「それはそれなりに面白い」人たち。
後者は敢えて非表示にはしない。観察とかウォッチとかいうと失礼になるかもしれないけれども、まあそういうことだ。
 
こういうことって裏表なのは分かっている。私自身がフォロアーさん含め誰かから非表示にされている可能性だって当然ある訳だし。お互い様ってことでどうかひとつ。
ただ、ある特定のフォロアーさんがあまりにも多くの奇妙な人を連れてくる場合、もう少しお友達を選ばれた方が宜しくないでしょうかとお節介なことを言いたくなってしまうこともある。言わないけれどね。
 
何事かをシェアしたり、誰かを“いいね”したりする場合「鵜呑み」にするのはよそう。拡散された場合に負の影響が出る可能性がある場合は特に注意しよう。幾つかのサイトをチェックしたり、本を読んだりすれば嘘かトンデモか真実か、もしくはまだ誰も判別の使用の無いものなのかどうかは朧げながら見えて来る。それでも間違いはある。後で気付いたなら訂正してごめんなさい。
風評は怖いもの。それに晒されるのが個人ならもちろん、零細企業などなら吹っ飛んでしまうだろう。そこの従業員の家族の明日に、風評を気軽にシェアした人は責任を取れるのか。
 
まあ、これは自分への戒めメモでもある。