2014年3月17日月曜日

原子力のこと(漫画「美味しんぼ」問題で思ったこととか)

きっと火を使おうと苦心していたごく一部のヒトの周りで、大勢の人たちは猿のように「何おっかないことやってんねん」って罵声を浴びせていたんじゃないのかな。その後ヒトが火を使うのは当たり前になりヒトであることの象徴にもなり、一方今でも大火に襲われれば悲しいけれど為す術がないのも現実。

怪談話が上手な人がいる。細かな描写や数字等を駆使して真しやかに。多くの人は刺激的な話が好きだから怪談話は一人歩きを始め、さらに上手な人が肉付けをして話は一定のレベルのモノになる。所謂ネット上に蔓延る陰謀論ってやつもそう。ケム何とかとかね。
似非科学者が小銭欲しさに物語づくりに加わる状況も散見され、やれやれって感じ。
いやいや、お化けはいるのかもしれないよ。誰も否定は出来ない。

一方実験・実証を積み上げて来た科学の立場がある。科学者は自然現象について絶対ということは言わないからお化けはいると信じる人たちとの間での論戦はどこまでも平行線のまま。証明して見せ、それを積み上げて時間をかけて定着させるしかないと考えている。ただし、折角定着させたものがある日新しい発見によって覆ることもある。
数十年後に答えは出るかもしれないと言っても大勢の人たちは待っていてはくれない。興味の方向も時間の物差しも違う。

火を使い、文字を作り、印刷をし、刃を研いでヒトは生きてきた。科学の発展には多くの犠牲を伴った。薬が一つあれば、それで助かる者と、副作用が生じる者の両方が出てしまう。
火で死んだ人、言葉によって死んだ人、刃で死んだ人…。労働は人に必要なモノを産みだしたけれども数々の事故の犠牲者も少なくなかった。
効くと信じて飲んだ薬が害になること。化学製品を作るための廃液での公害。毒を持つ顔料でも工夫して絵具に使った。フグ等の毒を持つ生き物にあたった人がいても、何とか安全に美味しく食べようとした執念はすごいね。
動植物を殺して食べなければ生きて行けないように、それでも科学とともに人は歩いてきた。科学が絶対だというつもりは毛頭ないけれども、好む好まざるに関わらず定着した技術や配合は生活の中で無くてはならないものになっている。

漫画「美味しんぼ」の件では、作者の雁屋氏は上質のリトマス試験紙を提供してくれたと思う。各SNS等を見ているとそれぞれの考え方がきれいに色分けされているのが分かる。科学的な考え方をする人と、そうではない人というような単純な白黒ではなく。
まあ、作品自体については、漫画は漫画界でって思うので、政治家やその他メディアが口を挟むようなことではないと思う。個人的にはちゃんと読んだことの無い漫画なので、内容そのものにはあまり関心が無い。
例えばtwitterでデマが蒔き散らかされて話題になる時がある。そういう時にはtwitter民自身が丁寧に訂正しそれがリツィートされて火消しに至る。所謂自浄作用っていうの?漫画界、出版界にもそういうブブンはちゃんとあるのではないかと思っている。
福島の放射線量と健康被害の関係について思う事はこちらのブログ「山岡士郎はなぜ鼻血を出したのか」で書かれている事に近い。著しい危険は無いのではないか、と私が思う理由はこのブログを含めネットで拾い集めた情報と、地震後の長期ボランティアとして現地に滞在した知人の言葉を又聞きした、それが全てである。専門の研究者ではないから心もとないし、自分のスタンスが間違っている可能性も否定できない。同じように各方面の情報を集めた結果正反対の意見を言う知人がいる。見るもの、感じ方が違えば当然そういう事は起こるし、何を否定するものでもない。ただ間違いなく言えるのはこの件も含め、慎重である必要があるということ。
例えばある病気の疑いがあって医者にかかったとする。それを知った誰かが周辺に病名とともに言いふらしたとしたら、そうされた方はどう思うか。もし検査の結果何でもなかったとしたら?
声を上げては行けないという事ではなく、幾重にも慎重に、ということ。

あの地震と津波に起因する福島第一原発の深刻な事故を受けて、日本だけでなく世界各地のエネルギー政策が影響を受けた。
地震の前はどうだったか。一部の人は原発に対する危惧を抱いていたけれども、多数は田舎の原発から送電される電力を無意識のうちに享受し、様々な日常の活動に役立てていた。東電や発電所の従事者に対して感謝こそすれ、特に目の敵にすることも無かったと思う。
ところで原発に限らず各分野にごく一部混ざっている「選民」さんには笑える。「これだから大衆っていうのは…」とか、臆面も無く愚民たちと言い放つ輩もいて滑稽だ。街の中で黙っている誰かはあなたが思っているほど馬鹿じゃない。もちろん得意分野の情報はその正誤はともかく「選民」さんたちのほうが多く持つだろうし、何に対しても本気で無関心な人もいるようだから、そもそもひとくくりにする方が間違っているのだけれど。

新しいエネルギー政策では自然・再生エネルギーの実用化への道筋が大きく広がった。この技術も大変興味深いけれども、これに全てを任せるという段階には到底及ばない。自然エネルギーにしても長所と短所がある。事故も環境への影響もあるだろう。絶対的に安全で無公害なシステムなど作れない。従来型の原発を新造することはありえないとして、電力の安定供給のためには今は火力に頼らざるを得ない状況だが、火力発電には大きな懸念がある。あれだけ公害が問題になったことをみんな忘れてしまったのだろうか。いくら技術革新があったとしても地球に与えるダメージは再生可能エネルギーや原発よりも数段上を行く。

次世代原発の開発を急ぐべきだと考えている。そのための研究者の育成やサポートの充実はもちろんのこと。太陽光発電等の研究を進める一方で、太陽と同じメカニズムでエネルギーを生み出す仕組を何とか手に入れたい。それまでの繋ぎには、安全性を幾重にも考慮した上で現在停止中の原発を動かす事もやむを得ないのではないかと思っている。繰り返すけれど、世代的なものかもしれないが火力発電には良いイメージが無い。地震に端を発する福島第一の事故に際しても、すぐ近くの福島第二や女川の原発は無事だった。女川は住民の避難所にすらなった。第一に関しては人為的なものも含め本当に不幸な出来事が重なってしまったのだと思う。

重大事故はあり得ないような偶然の重複で起こることが多く、人の理解の範疇を越えた事故は膨大な状況の断片やデータも吐き出すから、そこにはどうしてこうなるのかと後から考えれば首を傾げたくなるような事象も混ざり込む。その辺がお化け大好きな人たちの格好のネタになるわけだ。

いや、世界に陰謀的なものなど全くなく目に見える事象が全てだなどとは言わない。ただ策謀についても事象の一つに過ぎないのだから、実証と実験、データを積み上げ解析して白日の下に晒して初めて論ずべき対象は現れるのではないか。それをせず朧げなまま魔女狩りをしたら、必ず今回のように謂れも無く不幸になる人が出てきてしまうのだと思う。

腹立たしいのは、お化け大好き陰謀論者たちの圧力で、地道に研究を続けてきた真っ当な科学者が何人も口を閉ざさざるを得ない状況に追い込まれたらしい事。冷静に科学的に放射線の被害について説いたところが、「原子力村」のレッテルを貼られ、遂には家族にまで害が及び沈黙せざるを得なくなった人がいたとか。事実なら何とも残念だ。
火を恐れる気持ちは分かる。ただ人はそれを乗り越えて行くものではないのか。

原発事故後の東電の対応に疑問を感じた人は多い。腹が立つと言えば、僕も当初かなりイライラしながら見守っていた。ただ、すぐに気付いたのはこれは何も東電だけの問題ではなく、日本の社会構造そのものの問題なのだろうということだった。

家の誰かが問題を起こした場合、この国では家族は何よりも家を守ろうとする。家を会社と置き換えても、村と置き換えても同じ。問題を起こした誰かや原因を隠蔽してでもそうしようとする。「世間」に対しては型通りの謝罪をするものの、家のことは家でとばかりに責任の所在はうやむやにする。
原発事故の影響は日本国内はもとより海外、地球全体にまで及んだ。東電の幹部連中が「東電村」「原子力村」を守ろうとしたのは断じて間違いだった。
問題が起きたならそれがどの範囲に及ぶのかを先ず考えるべき。そのエリアの被害を最小限にとどめて守り立て直すことが第一、次に原因の究明とともにエリアの外側に対する配慮、家やムラのことは二の次でいい。

この星の資源を喰い尽くして物質的な豊かさを追い求める道は曲がり角に来ているらしい。未来を見据え別の意味の豊かさを望むのならなおさら、エネルギーに関しては原子力は捨てず諦めず、本当に安全に使いこなす研究を脈々と続けて欲しい。若い研究者が興味を持って取り組む道筋を作り維持して欲しい。いずれにしても現在存在する古い原子炉の廃炉ひとつ考えてもこれから長い時間多くの人数の技術者が必要になる事は判っている訳だから。

半永久的に稼働してガスや現代の電力よりもはるかに安全な超小型原子炉が各家庭に備え付けられているような未来を夢想する。原子炉を持たない集合住宅や、公共施設、企業、工場へは電力会社から自然エネルギーと原子力をミックスした大電力が供給されるのだろう。
そんな未来は生きている間には見られそうもないけれども。