施餓鬼
脚が悪い父親の変わりに田舎のお寺のお施餓鬼に出て来ました。
子供の頃から「おせがき」という言葉と行事は知っていましたが、改めてこんな字を書くのかと、今頃知った訳です。
その名の通り餓鬼に施すということ。それは無縁さんへというだけではなく、代々続く自身の家系へまた自分自身の中にいる「餓鬼」への祈りなのだと講話に来られた偉いお坊さんが言われていました。
講話の後はお施餓鬼の行事。思っていたよりも宗教色が強い感じを受けました。といっても古代から続く仏教へ思いを馳せることができるような荘厳なもので、(例えるのも何ですが)間違ってカルトな会合に行ってしまった時のような嫌な感じはしませんでした。
宗教がどうというよりも(って言い方もないか)様々な年齢層のお坊さんたちの抑揚のある読経と雅楽が圧巻でした。すごく良かった。
坊さんの話を1時間も聞いていたら徹夜明けでそのまま駆けつけた状況だったので寝てしまうに違いないと思っていたのだけれど、そんなことはなく十分楽しめました。全体で2時間あまりだったのだが、割合あっという間で家のお墓の周りの草むしりをして帰りのバスに乗る頃には良い展覧会やコンサートを見た後と同じようなパワーをもらったような気分になっていました。
ただ、前半のお坊さんのお話自体は有難いものでしたが、僕にはあまり適合しないものだったかもしれません。ちゃんと家庭・家族をもち、一般的な暮らしをされている方達向けという感じ。もちろんそれはそうでしょう。いい年をして好きな仕事にしがみついて独り者。暮らしはカツカツで自分そのものが餓鬼のような、そんな特殊な人向けにああいう場でお話をされる訳は無いでしょうから。歴史の中の謂れやもの事の意味については勉強になりました。
wikiとかで見ると施餓鬼については、これって餓鬼たちの脅迫みたいなもんじゃんなどと思ったりもしたのだけれど、まあその辺の辻褄は当然奇麗に揃うようになっていてストーリーとしては納得できました。ただ、こういった行事ってこの後世代が変わっていく中でこの通り続いていくのだろうかと若干心配にもなりました。僕以外は集まった皆さんはさらに年配の方達ばかりだった事もあると思います。
コメント
コメントを投稿