空気を読む馬鹿

角界とか梨園とか政界とか独特な世界にはそういうものだろうというイメージがそれぞれあって、世間の暗黙の了解があったと思う。
今は何だか集団潔癖性って感じ。
余程ヤバくない限り、イイモノを見せてくれればそれでいいと思うのだけれど。

世間の声が届くべき所に届くということは大切だとは思うが、そういうことに慣れていないものだから無節操に思いつきで発したり、でかい声の奴に思わず同意したりしてしまう人たちを見かける。
誰かが号令をかければ首相さえ袋だたきにして辞めさせる。みんなエラくなったもんだ。
毎晩高級なバーで1日の疲れを癒したっていいと思うし、名門の出身で金銭感覚が庶民と違うからって人の気持ちが解らないと決めつけたもんでもない。だいたいこちらが判断する間もないうちに辞めさせられちゃうし、大将を盛り立てていこうという気持ちなんてもう誰にも無い。シジリツ調査なんて馬鹿馬鹿しいから止めた方がいい。
声が届きやすくなったことはいいことなのだろう。インターネットも大きな役割を果たしている。
発する言葉に覚悟や責任を持つということを自分自身の反省もかなり含んで考えている。
その言葉自体が嫌いだが、空気を読む馬鹿になるよりも同じ馬鹿なら読まない馬鹿でありたい。

エラくなったというのはもう一つの意味でもそうなのだろう。エラい状況を多くの人が抱えていて、切羽詰まってしまっている。何かを我慢したり、待ったりする余裕が無いのね。
僕もここ数年エラいことになっていて笑っちゃうんだけれど、そろそろ何とかしてみるべかと。

Posted via email from Confish Day

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