鬼太郎が見た玉砕

極限の中で生き残ってしまった事に後悔し、かといって生き延びたり戦ったりする事も許されず「形式的な死」を求められ、自決しろあるいは玉砕しろと命令されたらどうするか。

自分だったら少しでも疑問を感じてしまったらできそうもない。死ぬにしてもその意味が(思い込みでも)欲しい。劇には描かれなかったけれども自決したことにさせられた人もいたのではないか。
そもそも戦争では理不尽な死や無意識の(突然の)死というものがほとんどで、納得し満足して死んで行った人は少数だろう。

戦時中の命令は絶対で疑問を抱いたり尻込みする者など無く、ましてや口答えなんてあり得なかったのだという刷り込みがいつの間にかされていた。しかし人が集まれば一人一人違うのは当たり前でそれぞれの背景や個性、考え方や言い分があったのだということを改めて淡々と描く。

結局は国家という大きなシステムの中でそのストーリーの登場人物にされてしまった方々が大勢いたということだ。それは誰がどうしようと償えないほどの過失。

ドラマの中で水木しげるさんのキャラクタであるねずみ男や目玉おやじに喋らせた愚かしい戦争という言葉に水木さんが言いたかったことは重く集約されていた。

(NHK 2007年作品の再放送)

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